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アンコールワット

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アンコール・ワット(Angkor Wat)は、カンボジアにあるアンコール遺跡の一つで、遺跡群を代表する寺院建築。

サンスクリット語でアンコールは王都、クメール語でワットは寺院を意味する。大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれている。

またアンコールワットをインターネット調べてみてくださいね。

私の撮ったアンコールワットです。

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プノンバケン(アンコール遺跡群)からのサンセットを楽しむ!

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プノン・バケン山はアンコールワットから近く、アンコール三聖山のひとつ。

高さ60mの丘を登っていくとピラミッド状の遺跡プノン・バケンがあります。

一直線に徒歩で登るか、私達は象に乗って登って行ける緩やかな道を登りました。

ここは夕陽に照らされるアンコール・ワットを見る絶景スポットとしても有名です。~~~が、その遺跡の前に突っ立った時、驚愕!!(>_<)~~!

この急な階段を、それも手すりがないっ!(>_<)!!

こわ~~い!!・・高所恐怖症の私は足が竦みました。・・昼間、アンコールワットの中のい急な階段を拒み、みなさんが登って下りるまで待っていたのに~~!(そこはてすりがあった!!ここはないっ(ーー;))・・・・

でも、でもですっ!・・ここを征服しないと有名な夕陽が眺められないのです!!・・・・・そこを判断!!・・登るっきゃない(>_<)・・み~~んな登ってはります。・・・意を決して登り始めました。・・必死で!・・となりに友人に励ましてもらいながら~~^_^;

やっと登りきったプノンバケンにはもうすごい人が夕陽を眺める為に所狭しと座って、立って待っています。

私はやっと登れたこともあって、冷静に写真を撮ることが出来ていなかったようです。^_^;

夕陽だけは撮りましたが、夕陽と遺跡をマッチさせるアングルとかを考える余裕もなく、、あぁ残念でした。

友人のYさんが「あなたは怖がりだから、夕陽が落ちてしまったら、この大勢のみんなが一斉にこの急な階段を折り始めて危ないからちょっと早くゆっくり降りよう!」と勧めてくれました。

ですから、私はまだ明るい間に降り始めました。

夕陽の写真は太陽が赤く、写っている反対の色なんです。

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アンコール・トム

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アンコール・トム (Angkor Thom) は、アンコール遺跡の1つでアンコールワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡。12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世により建設されたといわれている。周囲の遺跡とともに世界遺産に登録されている。

アンコールは、サンスクリット語のナガラ(都市)からでた言葉。またトムは、クメール語で「大きい」という意味。

アンコールトムは一辺3kmの堀と、ラテライトで作られた8mの高さの城壁で囲まれている。外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっている。各城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されている。また門から堀を結ぶ橋の欄干には乳海攪拌を模したナーガになっている。またこのナーガを引っ張るアスラ(阿修羅)と神々の像がある。

アンコールトムの中央に、バイヨン (Bayon) がある。その周囲にも象のテラスライ王のテラスプレア・ピトゥなどの遺跡も残っている。

アンコールワット遺跡群は日本政府が補修をしている。

カンボジアのいたるところで日本は復興支援をおこなっている為、カンボジアは親日家が多く、会う人々は「感謝」しているとお礼を言ってくださいます。

またまた和田山です。7日に帰宅しますのでアンコールワットはその時に!(^_-)-☆

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嬉しい節分・・・(*^_^*)

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今日は立春。昨日は節分。

毎年、節分には手作りの巻き寿司を知人、友人、家族にプレゼントしていました。

ところが去年、今年と仕事で作ることが叶いませんでした。

みのり館では注文品で余ったものを分けていただきました。そして朝来から夜、神戸に戻ってきたら、娘からの電話「今、どこ?巻き寿司作った?」と。・・・ちょうど住吉駅近くまで作りたて巻き寿司を持ってきてくれました。

車の中を焼き海苔の美味しそうな香りが漂い、とっても幸せな気持ちになり、疲れ果てて帰った時の幸せプレゼントでした。

とっても美味しく、全く私の味なのです

今週の月曜日に息子と娘と三人で大丸神戸で会った時には節分に会えないからと、、巻き寿司を作ってきてくれたのでした。

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カンボジア

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 写真⇒一枚目⇒市場(Mall街・・テントが粗末です)

     二枚目⇒農地 今は乾季です。牛、水牛が痩せこけています。 

三枚目⇒道路脇も整備されず、アスファルトでもなく埃っぽいです。

四枚目⇒遺跡は放置され荒れ果てて朽ちています。

五枚目⇒高床式の民家

六枚目⇒民家のキッチン(何故か旦那さんが食事の準備中)

七枚目⇒奥さんがノホホンと旦那さんが作る料理を待っているようでした。(高床式住居では下で日中を過ごし、ハンモックを張り昼寝をします。夜は二階で寝ます)

八枚目⇒フランスパンを売る男(フランス領だったことがアチョコチに色が出ています。フランスパンの中におかずを挟んで食べているようです。)

カンボジアはまだまだ戦争の爪あとがアチコチに感じられ、すっかり私的には浮かれるわけには行きませんでした。

ポルポトに1400万人のうち400万人、撲殺の惨殺。都会人、知識人が殆ど標的にされました。

人数分だけまだ地雷が埋まっています。

映画「キリング フィールド」(The Killing Fields)1984年米国製作・・・観たことありますか?・・・怖くて観られなかった映画。一度DVD探して観てみたいです。

シェムリアップには日本が建てた子供病院、医療活動も全て日本。無料診療してもらう為に遠くから訪れ、長蛇の列です。

アンコールワット遺跡群は、日本政府の援助で遺跡が修復されています。上智大学生がボランティアで修復に参加しているそうです。

カンボジア人は日本の人々に随分助けられているので感謝されているようです。・・・・・・恥ずかしながら、こんなに多くの援助を日本がしているとは知りませんでした。・・・もっと政府は国民にも外国にもアピールすれば良いのに!!・・・と、強く思いました。

バスで移動している車窓は本当に荒地でした。貧しい民家、電気はなく、ついこのあいだまで、人を信じられなかったカンボジアの人々。・・・そんな中に私が観光にノホホンと行って、どんな顔で現地に佇んでいれば良いのか??とも思いました。

でもシェムリアップは、カンボジアは観光でも外貨を稼いでいます。だから、、、これで良いのか~と考えたり、、。

帰国して、夫にそのような報告をすると、カンボジアの歴史も詳しかったし、私より随分把握していることにも今更ながらですが、、、尊敬しました。

夫曰く「で、旅行楽しくなかったの?楽しかったことを報告してや!!」言われてしまいました。

それからはオシャベリ6人組の可笑しい、楽しい顛末を話した事でした(*^_^*)