「靭本町がく」店主の息子・今川岳のレシピが「あまから手帖6月号」が掲載されています。
素麺レシピが10ページ。
本屋、コンビニでも購入できます。
一度、お手に取って見てくださいませ。
カテゴリー: お知らせ
長男・岳の割烹店「靭本町がく」(うつぼほんまち がく)が、開店一周年を迎える事が出来ました。
4/12、何とか無事に、開店して一周年を迎えることができました。
何も宣伝なしでの若輩者が開店を致しました。
皆様には愚息がどのような料理をお出しするかもわからないのに、私の生徒さんを始め、多くの知り合いというだけで、
応援がてらに御来店頂き、 温かいご声援を頂戴し、何とか今日と言う日を迎える事ができました。
「ありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。今後ともよろしくお願い申し上げます。」
4/12の当日は、記念になるような特別な事はしないと言うので、開店の少し前に家族は何の打ち合わせ、待ち合わせもないままだったのですが、集合しました。
ちょっと、少しだけ乾杯し、それぞれにお祝いの品を手渡しました。
息子からは店のスタッフや娘、私達に「感謝」の言葉とその印の品をそれぞれに手渡してくれました。
たまたま御来店頂いたF様ご家族にもお祝い頂き、嬉しい二年目のスタートとなりました。
皆様、本当にありがとうございます。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
生徒さんのお宅訪問
お雛祭り
この但馬では旧暦で雛の節句をする家の方が多いようです。
我が家も旧暦でします。
毎年出しているお雛様です。
母と同い年の90歳のお雛様。
しかし、、母のいないお雛祭りは初めて。
当時、造り酒屋の初娘の初節句の為に祖父が奮発して揃えたと言うお雛様。
当時の家一軒が立つと言われる値打ちだったとか。
特に雛人形の顔の繊細さ、お道具の多さ、そして数々蒔絵の厚みなど色々と見応えはあります。
宴幕の紋の左は木村家の家紋。右は女紋。
武田信玄からの家紋を頂戴したと言う木村家の扇の家紋なんだそうです。
右は女紋「抱き鶴」です。女紋は代々女だけが伝えていくと言われているらしく、私も娘もこの女紋を紋付の着物には使用しています。
我が夫の今川家は今川義元の祖父からの流れで、我が家は武田と今川の流れを受けた家と言うことかな^_^;
今年は4/2~4/5までは知人のみの公開としています。
今年は、都合上、すぐにしまってしまいますので、お知り合い方のみとさせて頂きます。
連絡をお急ぎ下さい。
お昼は前もってご連絡頂いた方のみに、私特製松花堂弁当と桜餅、お薄、そしてコーヒーを頂きながら、お雛祭りを楽しんで頂きます。
来年は藤井家お雛様イヴェントを今から企画が出ていていますのでお楽しみにしていて下さいませ。
この雛壇は3/27に娘と夫と3人で骨組み組み立て、4/1に娘がまたまた和田山に来て、組み立てました。
2年前に娘が母に教えてもらいながら写真を撮った写真を頼りに、釘を使わない御殿の組み立て。想像以上の大変さ。
追伸ー「靭本町 がく」は「あまから手帖 2月号」の表紙にも出して頂きました。
「靭本町 がく」が「婦人画報4月号」に取り上げられています。
寒中お見舞い申し上げます。
寒中御見舞い申し上げます。皆様のご健康とご多幸を祈念いたします。
すっかりブログをご無沙汰しており、もうしわけありませんでした。
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昨年11月19日、母、藤井茂登子が昇天いたしました。
そんな年明けになり、新年のご挨拶を失礼させていただきました。 元気な母は、6月に90歳、卒寿を迎え、あと10年は生きたいと
希望を持った直後に9月に不調を訴え、検査入院。
あっという間に、急性癌により他界しました。
潔い母は「人生に悔いなし!只、14歳から書き綴った短歌を纏めておきたかった」と、10月の中ごろポツリと申しました。
私たちは、それなら「私達が作くろう」と。 私が実家に戻って探し出し、10代の纏めたノートと晩年に色々な雑誌に投稿していた短歌のみ探し出すことができました。
私たち夫婦と娘夫婦が手分けしてデータを打ち込み、娘婿が編集を担当し、母は孫娘に「私の大好きな花みずきを描いて欲しい」と。永眠の10日前に2冊だけ製本して母に手渡す事ができました。大変な喜びようでした。
「自然とともに」と言う題を母が決め、それに合うようなサラリとした短歌だけをチョイスすると言う校正を死の前々日まで頑張って休み休み行いました。
11/18に印刷に回したことを喜び、翌日の夜、私の目の前で火が消えるように1分前まで話していてスーッと息絶えました。静かなで穏やかな昇天でした
母は裕福な造り酒屋で誕生しましたが三歳で親に死に別れ、経済的には裕福でしたが、他人に育てられた寂しい幼少期を過ごしたようです。いつも明石師範学校時期が楽しかったと申していました。
北兵庫で結婚し、私たちが生まれ、田舎の長男に嫁として教師として働きながら勤めてきました。いつも、皆の為に頑張っておりました。「人間だから働く事だけしたら行けない。毎日を楽しまなければ。その為には文化的なことを習得し、それを基本にして生活しなければ」と常々申しており、日々の生活の身だしなみ、設え、茶道、華道、香道、短歌が生活に溶け込んでおりました。
80歳過ぎてもバレーボールをし、若い女性と楽しくつき合わせていただいていました。身体障害の方々へのボランティア、母だけにしか心を開かない方、母の死をどのように知らせてくださったのでしょうか。
自閉症の子供を家に呼んで勉強を教えたり、人には言わない人助けを生涯しておりました。父の認知症に5年間、母が一人で面倒をみていましたが。私たちが手助けするその間にもボランティア活動に時間を割いておりました。
母は幼少期から他人の間で生きた経験から人を思いやる優しさを身を持って実践してきました。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩を思い出します。
そんな母を娘である私は捉えていますが、娘には甘い母でした。
皆様に見せていた顔はどんなだったのでしょうか。お聞かせいただけると嬉しいです。
昨年には、我が家には嬉しい出来事もありました。
四月には長男、今川岳が大阪に日本料理店「靱本町がく」℡06-6479-3459(母の書を看板に)を出店し、半年後にはミッシュラン星一つを頂戴したことが母への大きな贈物となりました。
私はの昨年は母親業と娘業が多忙な年でした。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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「靱本町 がく」が雑誌に掲載されました。
「靱本町がく」の隠れた見所・・掛け軸
「靱(うつぼ)本町 がく」があまから手帖に掲載されました。
愚息、今川 岳 が四月十二日に日本料理の店を大阪、本町、靱(うつぼ)公園の南に開店しました。
もうすぐ四ヶ月が経とうとしています。
皆様に可愛がっていただき、リピーターのお客様も次第に増え、何とか今日の日を迎えられております。
皆様のご厚情に心底より、感謝し、御礼申し上げます。
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
関西の「食」の月刊誌「あまから手帖8月号」に記事をだしていただきました。 本屋・コンビニで購入することができます。
HPも観てやって下さい。 http://www.utsubo-gaku.com/