月別: 2011年1月
カンボジア
写真⇒一枚目⇒市場(Mall街・・テントが粗末です)
二枚目⇒農地 今は乾季です。牛、水牛が痩せこけています。
三枚目⇒道路脇も整備されず、アスファルトでもなく埃っぽいです。
四枚目⇒遺跡は放置され荒れ果てて朽ちています。
五枚目⇒高床式の民家
六枚目⇒民家のキッチン(何故か旦那さんが食事の準備中)
七枚目⇒奥さんがノホホンと旦那さんが作る料理を待っているようでした。(高床式住居では下で日中を過ごし、ハンモックを張り昼寝をします。夜は二階で寝ます)
八枚目⇒フランスパンを売る男(フランス領だったことがアチョコチに色が出ています。フランスパンの中におかずを挟んで食べているようです。)
カンボジアはまだまだ戦争の爪あとがアチコチに感じられ、すっかり私的には浮かれるわけには行きませんでした。
ポルポトに1400万人のうち400万人、撲殺の惨殺。都会人、知識人が殆ど標的にされました。
人数分だけまだ地雷が埋まっています。
映画「キリング フィールド」(The Killing Fields)1984年米国製作・・・観たことありますか?・・・怖くて観られなかった映画。一度DVD探して観てみたいです。
シェムリアップには日本が建てた子供病院、医療活動も全て日本。無料診療してもらう為に遠くから訪れ、長蛇の列です。
アンコールワット遺跡群は、日本政府の援助で遺跡が修復されています。上智大学生がボランティアで修復に参加しているそうです。
カンボジア人は日本の人々に随分助けられているので感謝されているようです。・・・・・・恥ずかしながら、こんなに多くの援助を日本がしているとは知りませんでした。・・・もっと政府は国民にも外国にもアピールすれば良いのに!!・・・と、強く思いました。
バスで移動している車窓は本当に荒地でした。貧しい民家、電気はなく、ついこのあいだまで、人を信じられなかったカンボジアの人々。・・・そんな中に私が観光にノホホンと行って、どんな顔で現地に佇んでいれば良いのか??とも思いました。
でもシェムリアップは、カンボジアは観光でも外貨を稼いでいます。だから、、、これで良いのか~と考えたり、、。
帰国して、夫にそのような報告をすると、カンボジアの歴史も詳しかったし、私より随分把握していることにも今更ながらですが、、、尊敬しました。
夫曰く「で、旅行楽しくなかったの?楽しかったことを報告してや!!」言われてしまいました。
それからはオシャベリ6人組の可笑しい、楽しい顛末を話した事でした(*^_^*)
ホーチミンからカンボジア・シェムリアップへ
二日目はホーチミン市を観光し、夕方飛行機で一時間と少し(
途中でサンドイッチが出ました(*^_^*))、カンボジアのシャムリアップへ。この都市はアンコール遺跡群の為の空港で、カンボジアの北西部にあります。
空港はカンボジアらしいね!(*^_^*)と入って行くと、何か暗~~~い空港でした。お客さんが到着するとようやく少し電灯のあかりです。
バスに揺られ、きれいなホテルに到着しましたが、ここでも電気は節約のようです。
そして、ホテルの外のレストランでカンボジア料理のフルコースをいただきました。細工がきれいに施されてラブリーそのものだったのです・・・が~~^_^; 地ビールのアンコールビールです。
==(これはいけません<m(__)m>私は臭いがどうしても受け付けず、殆どをパス<m(__)m>・・<m(__)m>
その近くで木琴ならぬ竹琴を静かに女性が奏でておりました。
ホーチミン市・ベンタイン市場
ベンタイン市場(ベンタン市場)に行きました。
この市場の店舗の戸数は多いのですが、一戸当たりの陳列はインドやバリ・ウブドの市場より規模が小さいように思いました。
とにかく、とにかく腐敗臭・・・臭かった~~~っ(+_+)==はぁはぁ口で息していました。^_^;
ベトナムはみんな風呂の椅子みたいなのに座って円陣組んで食事をしているようです。
名前がわからない果物、野菜もあります。
とにかく自由時間がたったの20分!!、中に入れば東西南北どこかわからないから心の中で「バスは今左手、今右手・・」と迷子にならないように気をつけて、、撮影することの苦痛!
・・ここが団体と個人の差でしょうか?^_^;・・・海外旅行も今回が団体旅行は、初めてなので、、、。
ホーチミンでの初日のディナー
ベトナム・ホーチミン市
<写真⇒元南ベトナム大統領官邸(垂れ幕はもうすぐ来るお正月の為の「新年おめでとう」らしい)、ホーチミン郵便局(フランス占領時代のもの・中央にはホーチミン氏の肖像)、ホーチミンで一番高いビル、三角帽子をかぶった商人、市場の前、信号の前(電線を見て下さい!!)、バイクは元気に走っています。(YAMSAHAの看板が目をひきます!)
ベトナムと言えば、私の一番感性の強い頃の戦争でした。
サイゴン陥落。新婚の頃、新聞を読みながら夫がいつもベトナム戦争の事を毎日話題にするのが苦痛でした。毎日、毎日&朝日新聞をとって読み漁っていました。
1975年に戦争が終結してから36年も経っている。その35年経っている割には、街が汚い。
日本が終戦後35年経った昭和55年。私が結婚して10年経っていました。
きれいなバブル時期ですよね。
東京オリンピックがあったのが戦後18年?くらいな時でしたよね。それにしてはベトナムはまだまだ貧しい国です。
一番大きい市場に入るや否や、強烈な腐敗臭!・・そこへ所狭しと並んでいる店、人々!
みんな平気な顔して行き交っている。フランス占領時の影響が建築にも影響されています。
フランスパンが美味しいのも、ベトナムフレンチと独自の文化ができたのも時が経ったのでしょう。サイリドマイドの人々も見ました。
バスで回る添乗員は中国のことを良くは言わない。
バイクがあふれる幹線道路には日本製のバイク(殆どがホンダ)、車(殆どがトヨタ)
これが大変高価だと言う。
HONDAのバイクは日本で10万円で買えるものがベトナムでは20万円とか。
HENDA(へんだ、変だ^_^;)と一字違えてる中国製は数万円で買えるが半年でつぶれてしまうとか。
トヨタのカローラを日本で150万で買えるとするとベトナムでは450万円。クラウンは1500万円するといいます。
贅沢税が100%、消費税20%、後は輸入税が加わって輸入の3倍にもなってしまうのだとか。料理は高級ホテルに泊まり、高級レストランに連れて行っていただいたので堪能しました。でも公衆衛生が汚いので、徹底して手作業のような食べ物や生ものは避けました。ちょっと私にとって、ベトナム訪問は辛い。
帰国しました(*^_^*)
今朝、4時半関空に無事到着しました。孫のお守りの絵をお嫁ちゃんが送ってくれていましたので肌身離さず持っていましたから安全に、健康に旅ができたのでしょう(*^_^*)
暑い国から帰国し、住吉台には薄っすら雪が降っていました。
何事もなく、楽しいことが多く、色々勉強になったことも多かったです。
帰国して娘はイカリスーパーの袋いっぱい私が外国から帰国して欲しくなるような食材をいっぱい買ってきてくれました。
お昼にはうどんを作ってくれて、美味しく娘と食した事でした(*^_^*)
買ってきてくれた和の、そんな食材から夕食です。
夕食は実家の白飯。・・・辛子明太子と焼き海苔、出し巻き卵、塩鯖、菜の花と小鯛笹漬けの酢味噌和え、なめこと薄揚げの味噌汁、。・・和の食材をいっぱい揃えてくれました。
こういう御飯が美味しく感じました。(娘に感謝)
ベトナム&カンボジアの旅に行ってきます(^_-)-☆
今朝。もうすぐ出発です。
和田山教室の生徒さんのお誘いで「量興寺」(奥様&檀家さんが生徒さん)の企画です。神戸の食いしん坊の友人も誘って行きます。
欧米は個人ですがこの辺りはツアーの方が良いかな、、と、思い、海外は色々と行きましたが、ツアーは初めてです。
お料理をまた別の感覚でキャッチして広がりを持たせたいと楽しみにしています。ホテルが5星ですから料理もツアーと言えどマシかな?・・と思っています。
27日に帰国します。28日から教室はありますのでご心配なく(^_-)-☆
阪神・淡路大震災16周年
先ほど、5時46分、16年前のあの日、あの時の一瞬の出来事に震えを感じながら黙祷しました。
そして、神戸市三宮にある東遊園地の震災、モニュメントの言葉を思い出しました。
震災が奪ったもの
命 仕事 団欒(だんらん) 街並み 思い出
震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆(きずな) 仲間
この灯りは
奪われたすべてのいのちと
生き残ったわたしたちの思いを
むすびつなぐ
あの震災さえなければ、、」と、どれだけ多くの方々が思い悩まされたことでしょう。 しかし、あの現実を受け止めるしかなく、その人の速さでしか、乗り越えることはできませんでした。
私も、、あの状態では何も言えることはできないのです。
しかし、壊滅的な私の教室に、多くの方々が援助の手を差し伸べて、助けていただきました。ありがとうございました。「感謝」しています。
あの時「感謝の種」が次第に芽生え、優しい気持ちが花開き、実を結び、またまた種から芽生える、、、そんな人間関係が作れている事に「感謝」です。
今年は仏教ではあの日、あの年に亡くなった方々は「17回忌」です。伯母も亡くなったので、従兄弟はお参りしているかな?(あの日からこの家族も大変なことをしょいました)
昨日はお花をたくさん買う人々を多くみました。
震災後の、、一ヵ月後?二ヵ月後?・・・何日かしてお花屋さんにピンクのチューリップを見つけました。・・・・・思わず手にとって買った時のあのピンクが何と優しく、光っていたその感激!!・・あの新鮮な感激を思い出しました。・・その感激を大切にしたいです。
スタジオ・ドレッセは料理教室ですが、個々の心を大切にし、そこから始まる絆を大切にし、そこから始まる集まる人々、伝統を大切にし、「食」に、「命」を大切にする提案をしていくことを今日、思いを強くしました。これもあの震災から色々なことをいただいたことが大きく影響しています。