写真⇒一枚目⇒市場(Mall街・・テントが粗末です)
二枚目⇒農地 今は乾季です。牛、水牛が痩せこけています。
三枚目⇒道路脇も整備されず、アスファルトでもなく埃っぽいです。
四枚目⇒遺跡は放置され荒れ果てて朽ちています。
五枚目⇒高床式の民家
六枚目⇒民家のキッチン(何故か旦那さんが食事の準備中)
七枚目⇒奥さんがノホホンと旦那さんが作る料理を待っているようでした。(高床式住居では下で日中を過ごし、ハンモックを張り昼寝をします。夜は二階で寝ます)
八枚目⇒フランスパンを売る男(フランス領だったことがアチョコチに色が出ています。フランスパンの中におかずを挟んで食べているようです。)
カンボジアはまだまだ戦争の爪あとがアチコチに感じられ、すっかり私的には浮かれるわけには行きませんでした。
ポルポトに1400万人のうち400万人、撲殺の惨殺。都会人、知識人が殆ど標的にされました。
人数分だけまだ地雷が埋まっています。
映画「キリング フィールド」(The Killing Fields)1984年米国製作・・・観たことありますか?・・・怖くて観られなかった映画。一度DVD探して観てみたいです。
シェムリアップには日本が建てた子供病院、医療活動も全て日本。無料診療してもらう為に遠くから訪れ、長蛇の列です。
アンコールワット遺跡群は、日本政府の援助で遺跡が修復されています。上智大学生がボランティアで修復に参加しているそうです。
カンボジア人は日本の人々に随分助けられているので感謝されているようです。・・・・・・恥ずかしながら、こんなに多くの援助を日本がしているとは知りませんでした。・・・もっと政府は国民にも外国にもアピールすれば良いのに!!・・・と、強く思いました。
バスで移動している車窓は本当に荒地でした。貧しい民家、電気はなく、ついこのあいだまで、人を信じられなかったカンボジアの人々。・・・そんな中に私が観光にノホホンと行って、どんな顔で現地に佇んでいれば良いのか??とも思いました。
でもシェムリアップは、カンボジアは観光でも外貨を稼いでいます。だから、、、これで良いのか~と考えたり、、。
帰国して、夫にそのような報告をすると、カンボジアの歴史も詳しかったし、私より随分把握していることにも今更ながらですが、、、尊敬しました。
夫曰く「で、旅行楽しくなかったの?楽しかったことを報告してや!!」言われてしまいました。
それからはオシャベリ6人組の可笑しい、楽しい顛末を話した事でした(*^_^*)