我が家のお正月の祝い膳

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大晦日から贅沢三昧の食事でした。和田山で、私達夫婦娘夫婦息子夫婦と7月に誕生した生後5ヶ月の愛犬ミミ亡き父の三味線を弾いている楽しげな遺影(二枚目の写真の右上にあります。おちょこと黒豆も一緒に)もテーブルに参加してのゆったりと大晦日からお正月を過ごしました。

大晦日には柴山漁港の松葉蟹、ネギと鴨の鍋物、チーズやからすみ、豆腐ようとシャンパン。

元旦の朝には赤のテーブルクロスで、箸袋に母が名前を筆書きしてくれ、誰かは^_^;年女なので虎の絵付き箸袋とし、孫の「穣」も初めてのお正月なので金銀で虎の絵付きの箸袋にし、後は紅白の熨斗付きの箸袋にセットしました。

「三つ肴」の黒豆、ゴマメ、数の子に加えて「たたき牛蒡」で御屠蘇でお祝い。母の作ったお煮しめ、そして私のおはこの「七福膾」、その後、白味噌仕立てのお雑煮を食し、息子が働いている割烹の「〇万円の御節料理」を息子が作っている関係で買い、賞味しました。

ミミにも御節料理をホンの少し~(^O^)/

孫はまだ母乳だけですが、もう「お喰い初め」が終わったので「お膳」を用意しました。孫用のお膳を神戸に忘れました^_^;。私の母が赤ん坊で「お喰い初め」の86年前に揃えられたという紋付きの女児用の黒の塗りの食器。もう86年まえなので、痛んだのか紛失したのか、少し朱塗りで花柄の食器(その当時のもの)も混ざっています。・

この食器は母が使用してから、次世代の長女である私の姉へ、そして次女である私へ、そして三世代目は私の長女である娘へ・・・と、三世代の4人の女児が「お喰い初め」として使いましたが、今回男児の孫もこの食器を使うこととなり、4世代がこの”抱き鶴”のお喰い初め用の食器でお祝いが出来ました。

・・・・そして、お茶室(立礼=りゅうれい)で、御影の常盤堂さんのお正月用の主菓子と干菓子で母がたてたお薄をいただきました。(このようにすっかり元気になりました。正月用の設えも御餅作りもお煮しめも掃除も全て全てて母一人でしてくれました)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夜は「母が育てた無農薬の岩津ネギと鴨だけの鍋料理」「子持ち鮎のてんぷら」、母が作った丸大根を息子が煮て、「丸大根の煮物と子持ち鮎の子のあんかけ」

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二日の朝にはテーブルクロスは地紋様のベージュに替え、ようやく「私の作った御節」を出しました。皆が、食べなれたいつもの御節と喜んでくれました。(毎年、新しい料理を2,3加えるようにしています) お雑煮はお澄まし仕立てにしました。

初詣は二日目となりましたが、賑やかにでかけました。帰宅後、お茶を楽しんでから娘夫婦は神戸へと帰っていきました。・・・・・夜は「サーロインの牛肉握り」、ビーフヒレカツと蒸し野菜、たっぷりの生野菜のリーフサラダ、てんぷら・・・・・・

三日の朝は私の御節料理と「お澄ましの雑煮」・・私は急いで「みのり館」の初日の仕事なので息子と行きました。(息子に刺身の作り方を指導してもらいましたぁ)・・午後一時には私達夫婦と息子家族で大阪にむかいました。夕方大阪着。

夜は息子夫婦がお世話になったと、プレゼントで「中ノ島のリーガロイヤルホテルでお食事~(^O^)/」  と相成りました。若者に奢ってもらうのは甚だ心苦しいのですが、彼らの心尽くしと思い、その申し出を受けて、楽しくお食事をしました。

こんなゆったり贅沢な三が日を送れたのは、生まれて初めてだったと思います。半分以上は息子が台所に立ってくれ、洗い物や片付けものは娘とお嫁ちゃんが全部してくれましたし~、その食器の片付けは母が。  楽をさせてもらいました。

みんなが元気でニコニコ、そしてダジャレが飛び交い、笑いのある、孫を中心とした温かい団欒のお正月だった事でした。昨年のたくさんの心配事や入院が一段落して、元気で区切りのお正月を迎えられたことが何より嬉しい事でした。