嬉しかった再会

年末、嬉しい再会がありました。今は亡き友人の忘れ形見の息子さんの訪問を受けました。突然、連絡が入り、会うことにしました。もう四半世紀も時は経っていました。・・子供さんが小さいこともあって拙宅で会うことにしました。・・ずいぶん以前のことで、お顔が分かるかしら?と心配でした。・・でも、その頃の面影はありすぐわかりました。きれいでかわいくって聡明な奥様をもらっていらして、もう嬉しくて、嬉しくて、泣き虫の私には、、泣くことを我慢することが心配でした。

案の定、涙、涙の再会で、顔がくしゃくしゃになってしまいました。・・彼は子供の親になって、母親のことがもっと知りたいと思ったそうです。                                                                                       9歳で母親と死別すると何にもお母さんのことをはっきり覚えていないそうで、おとうさんがすぐに再婚なさった為、そのあたりにお母さんの情報はなかったでしょうし、男の子ですから聞くこともしなかったようで、、彼のおねえちゃん(息子と同級生)とは私はしばしば会っていました。

おねえちゃんから私のことを聞いて、是非自分の母親像をはっきりさせたかったのだと思います。・・おかあさんのこと、私の知っていること、思い出話しを一時間半くらいしました。

私は生涯で初めて他人の身近な死に直面し、一生懸命看病と子供さんの食事の面倒をみました。・・・・・・・・・・・・・本当に一生懸命しましたから、昨日のことのようにはっきり覚えています。・・苦しく悩むこと、どうしゅいようもなく現実が進む無常さを初めて体験したようにおもいました。

息子さんももう大きくなっていらっしゃるから、遠慮しないで色々なことを話すことができました。・・お母さんが亡くなって一周忌、三回忌。七回忌、そして十三回忌を四国のお墓までお母さんのお父さん、つまり彼のおじいちゃんのお誘いもあって、お墓参りに行っていたことも話しました。・・・それはおじいちゃんが、その節目の時にお母さん=久美子さんを私とダブらせていらしたのだと思います。だから、お誘いに素直に応じ、墓参をし、ご馳走をしていただきました。

・・・この度の訪問は嬉しかったですねぇ。・・・・・・お姉ちゃんや、お父さん、おばさん、おばあちゃん、おじいちゃんに私のことをきかれていたようです。

結婚したら出会ってみたいと思われていたそうです。・・・・・・・・・・・・・これからは神戸のお母さんみたいに遊びに来て下さることを約束して別れました.・・・本当に嬉しくって、感動の涙でした。・・・誰かに役立ったことを実感した嬉しさ、あの時苦しい思いもして逃げなくって良かったぁと思った大晦日の一日を過ごしたことでした。