「精進」には、「物事に精魂を込めて一心に進むこと」という意味があります。また、仏教的には、精進料理は、ただの菜食主義とは異なり、仏教の教え、特に「殺生」や「いのち」について真剣に考え直すための料理なのです。
そんな角度から今月は料理を進めていきます。
昨日はちょうど、お寺の奥様の生徒さんがいらしていて、何故か色々な問題に遭遇した時の心の持ち方などが話しの中心となりました。
自分の心は清いはずなのに、人によっては苦手と感じて逃げていく人。どうしても自分の心が濁ってしまう関係も有り得る。”心の清浄感を失う付き合い”は心を込めて丁寧に離れればよい。
「良き友」を得られたことと言うのは仏さまは人生の成す80%は出来上がっているから「友」がいることの素晴らしさを考えればよいそうです。
しかし、長寿の裏には年を重ねる毎に友人や親しい人はいなくなっていく。そんな時の為にサイのようになれるよう、ぼつぼつ努力すれば良い、のだそうです。(サイは一つの角を持ち、孤独に耐えられるようになること)
人は色々と悩むことも多いです。そんな苦悩に苦しむ人が頼っている今話の人「佐藤初女」さん。・・・悩む人を受け入れ、聞いて差し上げること。そうして心を込めて握った握り飯、心を込めてつくったお惣菜をゆっくり食べて帰っていただくという努めをなさっています。
そんな心・一生懸命に心を込めて料理を作って人様を受け入れ、持て成す。・・・そうすると持て成された人はすっきりして帰られるそうなんです。
「森のイスキア」と言う佐藤初女さんの
心を病んだ人がやって来る。
体を病んだ人がやって来る。
重いのやら、軽いのやら、荷物を背負ってやってくる。
そして
気が付けば、自分で荷物を降ろして帰っていく。
青森県、弘前市から車で1時間。岩木山の麓、標高400メートルの湯段温泉の地に初女さんの主宰する、憩いと安らぎの家「森のイスキア」がある。
やってきた人たちに初女さんがすることはごく平凡なことだ。 料理を作り、一緒に食べる。そして話したくなった人の傍らでじっとその人の話に耳を傾ける。言ってしまえばただそれだけのことである。
だが、その食事は不思議な力を持っている。もし人の体のどこかに魂の器があるとしたら、直接その中にエネルギーを注ぎ込むような、そんな料理なのである。悩みを抱えた人や心を病んだ人たちがその料理に接し、やがて心を開いていく。
「調理」と「食事」という「目に見えるもの」を通して、「人の心」という「見えないもの」の中へ初女さんは旅をする
私は改めて私の精進料理のことも書いていきますが、今月は心を込めて「精進料理」を教室で作って行きます。
”おにぎり”を心を込めて作り、精進料理を生徒さんと作っていき、家族や関係がある人に心を込めて一生懸命料理を作り、「笑顔」で接する家族・友人の為に作ろうと心からして行ける訓練が出来たら良いな、と、思います。
・・昨日からスタートした心を込めて作る「精進料理」をご一緒に作ってみませんか!!
写真の料理はどうして作っているのでしょうか・・・・・・・⇒①万願寺唐辛子を餅焼き網で丁寧に焼きました ②里芋の味噌田楽・・・里芋を蒸し、皮を剥いてマッシュし、再び整形し、煉り味噌を塗ってオーブンで焼きました。 ③おにぎり⇒実家の精米したてのこしひかり。芯の具は母が摘んだ実山椒を私が煮た佃煮。上等な焼き海苔を選び、おにぎりを作って、少し粗熱」を取ってから海苔で包む。